てぱとら委員会

巻頭言

 私たちが、「受験」のフェミニズムが必要だと思ったきっかけは明確です。2018年、日本の大学の医学部医学科入試における不正が発覚しました。当初は裏口入学の問題が取りざたされていたところ、調査の結果、複数の大学が女子受験生の得点を減点していたことが明らかになりました。

 

 学力一本で勝負できる場だと信じられてきた入試が、公平な仕組みではなかったことが衆目に晒された瞬間でした。性差別的な社会構造を前提に、その内側で――場合によってはそのような社会構造を再生産する装置として――選抜システムが作られ、用いられてきたにもかかわらず、一見“平等”な競争の建前に、その事実は覆い隠されてきたのだと思います。

 

 この本は、2000年代後半に私立中学受験をした当事者が、過去の「お受験」を振り返り、フェミニズム的な視線を向けなおした記録です。編集メンバーは全員が元同級生で、近畿圏・女子・受験用語でいうところの「最難関」校への進学が私たちの出会いの端緒であり、その後の人生のコミュニティや進路の礎にもなっています。

 

 私たちが歩んできたお受験街道は、ジェンダー不均衡な道のりでした。その凸凹には減点のような作為によって生じたものもありますし、歴史的経緯から一方の道が整備されないままであることに誰も声を上げないでいるものもあります。

 

 漠然と、医学科入試では女子が不利だと知っていました。男女別定員の中学には男子よりも優秀でないと入学できませんでした。日本で一番賢い中学は男子校だとされてきました。でも受験生の時にはそれが不公平だとは気づけなかったし、批判もできませんでした。だから事後的に検証し、受験というものがどのようであるべきか語り合う必要があります。それはまず次世代のためであり、今の私たちは受験戦争の先に登っていくべき「はしご」がないと感じていて、その行き詰まりを破るためでもあります。

 

 この本ではまず、私たち自身が経験した、過去の近畿圏私立中学受験の仕組みの中に潜んでいたジェンダーによる非対称・不平等を分析します。さらに、選抜の方法だけでなく、女性の学びを取り巻く環境も、歴史的な抑圧の堆積の上にあります。男女平等の名目で女子に中学受験をさせるとき、女子中学受験生にかけられた教育期待はどのようなものだったのでしょうか。このことを想像するためには、ヴァージニア・ウルフが『自分ひとりの部屋』で、ケンブリッジの新設女子カレッジと男子カレッジに見た待遇格差を記し、その背後に横たわる〈男性の安泰と繁栄、女性の貧困と不安定〉の歴史について考えたように、母親世代や、そのもっと前から女性たちが置かれてきた社会経済状況を紐解かなくてはならないでしょう(注:ヴァージニア・ウルフ著 片山亜紀訳 2015『自分ひとりの部屋』平凡社 45頁)。

 

 これらの論考を踏まえて、中学受験に至った経緯も、卒業後の後の歩みも異なるかつての同級生たちと受験体験を振り返り、受験から15年ほど経過した今、私たちはどこにいるのか語り合いました。

 

 そのようなコンセプトで作ったこの本を、『私たちの中学“お受験”フェミニズム』と題しました。一般に、お受験と言えば小学校受験を指します。ですが、中学受験を扱う本書について、あえて「お受験」としたのは、12歳時の受験体験が親や社会からの教育期待に大きく左右されたものだったと思うからです。そしてまた、私立校受験という特権に浴している自分たちの階層への指摘を一度引き受け、その内部にいる者としての経験を書き留めることにこそ、この本の意義があるからです。

 

 中学受験のフェミニズムはまだこの世に存在しません。私たち自身の、そして私たちみんなに繋がる中学お受験フェミニズムをはじめたいと思います。

 

2021年11月 てぱとら委員会