てぱとら委員会

巻頭言

 友だちのカップリング観がわからない。他人の「推しカプ」ってわからなくないですか?

いわゆるカップリングというものを好きになって15年以上経つが、いまだに自分の好きなカプのことしかわからない。

 カップリングの起点には、人と人の“関係性”に惹かれる心がある。“関係性”への愛着はきっと誰もが覚える孤独な喜びだ(それを「カップリング」として認識するかどうかはさておき)。そこで重要なのは事実よりむしろ解釈だから、溢れる感慨をそのまま他者と通じ合うのは難しい。

 けれど私たちはその“関係性”がなぜどのようにグッとくるのか、互いに言葉を持ち寄ることならできる。だからこそ、外の世界とつながるための回路ともなりえます。

 この本はこうした関心からはじまった、14人の「推しカプ遍歴」についてのインタビュー集です。

* 

 筆者は好きなカップリングを他人に尋ねるとき、なんとなくためらいがあります。そしてそれはカップリングが、“恋愛物語”を書く/読みとる行為としてイメージされることと繋がっている気がする。

 いわゆる「カップリング二次創作」は、①「原作」に描かれるキャラクターの特定の関係性を「カップリング」として選び、②キャラクター同士の親密性にまつわる(≒恋愛的・性的な)ストーリーを出力する2ステップから成ります。けれども、ある一つの“関係性”の発展形を模索する試みの中で、〈恋愛を描いているからと言って、その愛好者が(略)恋愛に対する欲求を満たそうとしているとは限らない。〉

 カップリングを嗜む人なら、これぞという「推しカプ」のチョイスにこそ、人それぞれの好みがあらわれると知っているでしょう。どこまでも主観的なそのこだわりの核心には、必ずしも恋愛として描かれてはいない・恋愛として描かれていても多様な内実を持つ“関係性”への関心があり、人によってその対象はあまりにも異なります。

 また、カップリング二次創作を読んでいれば、数多ある“関係性”の行き先が、書き手や読み手にとって常に“恋愛”の形式をとっているとは言い切れないし、仮に“恋愛”である場合にも、ある種の“関係性”を出発点とすることによる特有の作用がそこにあると気づくはずです。それが家父長制や異性愛規範の抑圧に抗う想像力に基づくものである場合には、なおさら。

 漫画家のよしながふみは、〈女性の場合は生育歴のなかで、どういう強制力や抑圧を受けているかというポイントが非常にバラバラなので(略)それが萌えポイントの分かれ方にもなっている〉と分析しています。これは女性がBLをまなざす営為を念頭においた言葉だけれど、BLにかぎらず、私たちがそれぞれ違うカップリングに強烈に惹かれてしまう不思議を考えるときに有用な視点かもしれません。

 人と人の結びつきを捉える言葉は定型に陥りやすく、それによって語り落とされてしまうものこそが気になります。「推しカプ」について、あなた自身の具体的な言葉で教えてほしい。

 あなたが欲望してきた「推しカプ」の“関係性”はどんなものでしたか。その“関係性”への欲望は人生の中でいかなる意味合いを持ってきましたか?年を経てその好みは変化してきた?その“関係性”からはじまるどんな物語を読みたいのか?それはなぜだと考えていますか?

 こうした質問を周りの人に投げかけ、カップリングに焦点を当てた自分史を聞き取る試みです。

 もちろん共感なんてし合えないことは分かりきっているから、「なんでも許せる人向け」とことわりを入れなければならない。でもだからこそ、すべての語りに意味があると思うのです。

 

2023年11月 てぱとら委員会